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聖母が告げた奇跡の水 − フランス “ルルドの泉”
フランス、ピレネー山脈の麓に位置する小さな村ルルド。ここの駅から10分少々歩いたところの町の郊外、カルワリアという山の裾に沿って、ガブ川という川があり、その中央をシャーレ島という名の島が、河川をふたつに分けています。その流れが再び合わさる所に大きな岸壁がきりたち、その岸壁に、聖母御出現の場として今も尚名高い、カトリックの聖地マッサビエールの洞窟があります。 ルルドの泉
そして、その洞窟の入口に、最も歴史があり、最も神秘的な“奇跡の水”、ローマ法王庁にも“奇跡”として認定されている“ルルドの泉”があります。

聖ベルナデッタ と “ルルドの泉”
ベルナデッタ 1858年2月11日、この小さな村の貧しい水車小屋に生まれたベルナデッタ(ベルナデット)・スビルーという13歳になる娘が、妹と友達の3人で川の流れを渡ってマッサビエールの付近に行き、たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前に聖母は御出現されました

その話は、友達によって少女たちの間に広まり、たちまち町中の噂となっていきました。そして、多くの群衆に見守られたベルナデッタの前にも、7月16日の最後の御出現まで18回にわたって聖母は御出現されたのでした。
聖母の御姿は、ベルナデッタ以外の人々には見えなかったため、大半の権力者たちは少女の言うことを信じようとせず、精神病か幻覚か少女特有のヒステリーだと疑い、カトリック教会は、キリスト教を冒とくするとの理由から洞窟を封鎖しようとしました。
ところが、2月25日の9回目の御出現のとき、聖母がお告げになられた場所から湧き出た泉の水が、奇跡的な病の治癒をもたらしはじめ、その水の奇跡の噂はどんどん広まり、病に苦しむ人々がさらに集い、さらなる奇跡的な治癒がもたらされたことで、ルルドへの巡礼はますます盛んになっていきました。 ルルドへの巡礼
最初は懐疑的だったカトリック教会も調査に乗り出し、3年半の調査を経て、1862年に、「聖母の御出現」がカトリック教会により公認されることとなり、ルルドは晴れて“聖地”としての道を歩み始めました。
1864年4月には、リヨンの彫刻家であるジョセフ・ファビッシュがカララの大理石でその御姿をきざんだルルドの聖母像が、マッサビエールの洞窟内の御出現の場所に設置され、1866年には、洞窟を取り囲むように建てられた地下聖堂が完成しました。
バジリカ聖堂 1871年には、第一回全仏統一巡礼が行われ、1876年7月には、信者からの感謝の献金によって建てられたバジリカ聖堂が完成しました。
それ以来この聖地への巡礼は一層盛んになり、巡礼者は年に平均で60万人、1933年の御出現75周年祈念祭には180万人にまでのぼったということです。
ルルドの泉
この奇跡の治癒をもたらし、今では年間500万人もの巡礼者が訪れるカトリック最大の聖地と呼ばれるまでになった泉こそ、一日に12万2400リットルの水が湧き出す“ルルドの泉”です。

“ルルドの泉”における奇跡の数々
この“ルルド”が、カトリックの聖地となったのは、少女ベルナデッタの前に聖母が御出現されたという事実も然ることながら、聖母のお告げにより湧き出た泉が、数々の奇跡的な病の治癒をもたらしたからに他なりません。
奇跡の泉ルルドへ
1996年に出版された竹下節子さんの著書『奇跡の泉ルルドへ』では、史実にもとづき、聖母出現、聖女出現、聖地出現、奇跡出現など少女ベルナデッタの前に聖母が御出現されてから、1879年に35歳の若さで昇天され、1933年に聖女として列聖されるまでの間に、彼女の身の上に起こった出来事や“ルルドの泉”の出来事が詳しく書かれています。

聖母御出現から130年間のルルドにおける治癒例の中で、カトリック教会によって、約2500例が「説明不可能」とされており、そのうちの65例が“奇跡的治癒”と認定されています。
カトリック教会が“奇跡的治癒”と認定するためには、患者からの申告によりルルドの付属病院にて厳密な診察がなされたのち治療が施され、治癒後の観察期間、追跡調査などにもとづく医師団の審査を経て認定されるとのことで、1989年一番最近の65例めの奇跡認定が成されています。(近年では、手続きの煩雑さから、奇跡的治癒認定の申請をする人は非常に少なくなっているそうです。)
これほど科学が発達したといわれる現代においても、医学的に説明できない“奇跡的治癒”と認定される出来事があること自体、人間の知識などまだまだ取るに足らないものであることを意味しているのではないでしょうか?

“ルルドの奇跡” と ノーベル賞学者 アラン・カレル博士
アレクシス・カレル 博士 後にノーベル生理・医学賞を受賞されたアレクシス[アラン]・カレル[Alexis Carrel]博士は、1902年、29歳のときルルドへの巡礼団に随行医師として参加され、彼自身「もう助からないであろう。」と診断をくだしていた末期の結核性腹膜炎で瀕死の状態であったマリーという患者が、マッサビエールの洞窟の前で、数時間のうちに治癒していく事実を目の当たりにされたのでした。
その後、カレル博士が残された文書の中から、自らの体験をラレックという名(Carrelを逆から呼んだもの)の医師の体験談として綴った『ルルドへの旅』と題した物語が発見され刊行されました。
この物語の冒頭では、「ルルドで起っている状況を研究することは、つねに故意に避げられてきた。だが、どうしてやってみないのだろうか。
たとえそれが、単に気のうえでの回復にすぎなかったとしても、大した時間の無駄使いでもないだろう。それに、原因は何であれ、もしかして実際の効果があるならば、それは、たしかに科学的方法で検証された事実として、大きな意味を持ちうるだろう。
ルルドへの旅
と、ルルドにおける治癒に対して半信半疑な気持ちでルルドへ向かわれたことが記されています。
ところが、実際に奇跡的な治癒を目の当たりにされたことで、
「−−前略−− 奇跡の事件にまきこまれたのは、確かに非常に具合の悪いことだった。しかし、彼はそれを見に来たのだし、見た以上は実験室での実験の場合同様、観察結果を変えるわけにはいかなかった。新しい科学現象だろうか。それとも神秘神学と形而上学の領域に属する事実なのだろうか。これは非常に重要な間題だった。なぜならこれは、単なる幾何学の定理を認めるかどうかというような間題ではなく、人の生き方そのものをも変えうるような問題だったのだから。」
と、博士自身のその後の生き方や考え方そのものにまで大きな影響を受けられ、1904年渡米された後、1912年“ノーベル生理・医学賞”を受賞されるほどの研究を成し遂げられました。
その後、数々の功績を残され、1944年11月5日パリにて71年の生涯を閉じられました。

アラン・カレル博士の『ルルドにおける治癒』についての見解
カレル博士は、ルルドでの治癒を証言しただけで医学界において微妙な立場に立たされ、自分の見解を弁護しなければならなくなったため、以下のような見解を発表しておられます。
「−−前略−−毎年、何千人という巡礼や病人がルルドに赴き、そうした旅行の後には、カトリック系の新聞雑誌が『奇跡』と呼ぶ若干の不思議な事実を発表する。
予め調べることなしに事実の現実性を否定することは、科学者として重い遇ちを犯すことになるのであるが、永い間、医者たちはそうした治癒例を真剣に研究することを拒んできた。
 とても真に受げ難く見えても、ルルドには真正の事実があったかもしれないのである。それに、宗教や党派の間題がそこに加わって人びとを煽動することになった。真に不可欠な真剣な検討は、今まで少しもなされなかった。皆ただ徒らに、そうした事実がなぜ起るかあれこれ億測していた
のである。
−−中略−−
多くの人は、昔から観察され、科学理論に助げられて、多少なりとも人為的に分類されて書物の中に記録されているような事実の外に、自然の力の戯れによって生ずるものは何もないと考えている。
それで、公認された科学の非常に硬化した枠組にどうしても入らないような披いにくい事実が出てくると、否定するか、あるいは笑いものにするかのどちらかになってしまうのである。
どの時代にも、科学者の目に異常と思われる事実が出現し、それは人間精神が喜んで閉じこもっていた図式的定式を破壊するがゆえに危険と見られたのであった。
いわゆる科学的人間はそうした事実を否定し、それ以外の人びとは形而上的なものとみなす。
事実はその原因がわからないとき、形而上的なものと宣せられるのである。
−−中略−−
たしかに、本当に証明された科学的事実は決して疑ってはならない。しかし、若干の明らかな点を除げば、自然法則というものは非常に厚い闇に覆われているので、事を現在知られている法則だげに限定してしまうなら、認識の領域は非常に狭められることになるだろう。
おそらく、まだ他に多くの法則が存在するのであり、科学の進歩は新事実を求め、異常な現象を分析して、その特性を明確にし、既知の事実とどこで異なるかを見て、ついには新法則を見出すところに存在するのである。
科学はつねに、欺瞞と軽信を警戒しなけれぱならない。しかし、ある事実が異常に見え、科学がそれを説明できないというだげで、その事実を排斥してしまうことは控えるのが科学の義務である。
医学の世界では多くの人が、自分が観察したこともない事実を否定している。それでは判断において過ちを犯していると言わねばならない。 −−後略−−」

ルルドにおける奇跡的治癒は、なぜ起こるの?
ルルドにおける病者の全快は、そのすべてが奇跡的治癒であるということでもないのでしょうが、医学的なアプローチでは説明できない病の治癒が起こっていることは事実です。
では、なぜルルドの泉においては奇跡的な治癒が起こるのでしょう?
結論から言ってしまいますと、確かな理由はまだ解明されていません。

“ルルドの泉”における治癒例の中には、カレル博士が体験した結核性腹膜炎の治癒以外に、全身麻痺の子供が治癒した。首の重度の潰瘍が一夜にして治った。化膿していた傷口が数時間で治癒したなど、皮膚病、婦人病、視覚障害、聴覚障害、知能障害などに類する治癒が数多く報告されており、中には、他の“奇跡の水”による治癒に比べ格段に驚異的な、超自然現象としかいいようのない信じがたい治癒例も報告されています。
1989年「奇跡的治癒」として65例めに認定されたのは、切断しなければならないと宣告されていた足の骨の癌の治癒で、1976年の治癒後、認定されるまでに13年を要しています。
また近年では、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活だった人が、ルルドに行って歩けるようになったという治癒例もあります。

白畑教授 ルルドの泉の驚異的な治癒効果の理由付けとして、「“ルルドの泉”の水には、有機ゲルマニウムが含まれていた。」とか、「ルルドの泉周辺は、ゼロ磁場であり、それが水を活性化している。」などの説明がなされたりしています。また、2002年11月のあるテレビ番組では、出演者が“ルルドの泉”の水を持ち帰り、九州大学の白畑教授の研究室で分析したところ、“ルルドの泉”の水からも、他の奇跡の水同様に、豊富な活性水素が検出された。また、細胞内の活性酸素が消去することも確認できた。といった内容の放送がなされたりもしました。
九州大学 白畑教授

これらのいくつかの要因が治癒をもたらす理由のひとつなのかもしれませんが、これらの要因と治癒に至るまでのすべての因果関係が明確に解明され、科学的、医学的に理論付けされている訳ではなく、科学的な分析にもとづき特徴付けられた特性であっても、その特性が奇跡的治癒をもたらす本当の理由なのかどうかは定かではありません。
現代の科学技術や医療技術では未だ解明されていない『水と生命の未知なる関係』が存在する可能性さえあります。

聖ベルナデッタの生涯
聖ベルナデッタと聖母との出会いの詳細や聖ベルナデッタの生涯について、もっと詳しくお知りになりたい方には、以下のサイトがお薦めです。
1862年に「聖母の御出現」が教会によって公認されると、ベルナデッタは教会側の意向に従い、1866年、22歳のときヌヴェールのサン・ジルダール修道院に入り、1879年4月16日、35歳という若さで昇天されたました。
聖ベルナデッタ
1909年9月22日、死後30年たってからの列聖調査により棺が開けられた際には、腐臭は全く感じられず、顔も手もほぼ完璧な状態で保存されていたそうです。
(現在は蝋製のマスクで覆われています。)
1925年聖ベルナデッタの遺体は、3回目の遺体鑑定が行われたのち、ガラス製の棺に移され、ヌヴェールのサン・ジルダール修道院の大聖堂に安置されました。
1933年12月8日、ローマ法王により新しい聖女として宣言されました。

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